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VMDとマネキン


ファッション販売空間において、商品イメージを視覚的に訴求することは、ビジュアルマーチャンダイジング(以降VMD)の基本であり、そのためのツールとして、マネキンは不可欠な要素と位置づけられてきました。こうしたマネキンは、愛玩用人形や美術品と異なり、商業活動の道具であることから、その時々の経済状況やファッション動向に左右されてきました。日本VMD協会が設立されたバブル経済期の1897年から、バブルが崩壊した1991年を経た今日までの期間、マネキンを取り巻く環境は大きく変化しました。この物語では、1970年代後半以降、VMDがわが国の流通小売業に定着する過程のマネキンを取り巻く状況と、その後の推移を概観しながら、現状と今後の展望を紐解きます。

売場の刷新に着手した1970年代の百貨店

1970年代後半、若い層を中心とした客離れ等、苦境に陥っていたわが国の百貨店業界は、米国の成功体験のノウハウから学び、リニューアル、リモデルに着手しました。1975年、新たなライフスタイルを指向する戦後生まれの「ニューファミリー」層に照準を合わせた、視覚的な訴求を促す売場の見直しを、西武池袋店が行ったことを皮切りに、1976年に伊勢丹新宿店、1978年に松屋銀座店と相次ぎ、やがて全国に広がりました。なかでも伊勢丹以降のリモデル、リニューアルの理論的支柱が、米国から持ち込まれたVMDでした。

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VMDに不可欠とされたマネキン

VMDが導入されるまでの、百貨店の売場のマネキンの多くは、商品サンプルを着せて見せることが主な役割でした。こうした中で、VMDの柱の一つと位置付けられたビジュアルプレゼンテーション(VP)においては、ストアコンセプトやファッションテーマをビジュアルに訴求する上で、マネキンは不可欠とされました。具体的には、衣食住全般にわたるライフシーンやファッショントレンドをビジュアルに演出するためにリアルマネキンを積極的に活用し、情報発信力のある売場に刷新しました。なかでもファッションフロアは、メインステージのみならず、平場と言われるゾーンにおいても、コーディネートをトータルに提案するために、シーズンごとにマネキンのヘアメークや肌色を変えるなど、リアルマネキンの積極的活用が当たり前の状況でした。各百貨店はシーズンごとにVMDのコンセプトやファッションテーマを明確化し、リアルマネキンによる視覚的訴求を通じて、売場の活性化を図りました。

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1970代半ば、西武や伊勢丹では、ヨーロッパから輸入したリアルマネキンを使用していましたが、1980年代以降、モデルサイズの欧米のマネキンへのニーズが高まり、わが国のマネキン業界は、海外のマネキン企業と提携するようになりました。この流れは、バブル崩壊以降到来した海外ブランドブームに繋がり、ショーウインドウを飾りました。

デザイナーとマネキン

百貨店が時代の変化に対応し刷新を図る一方で、専門店にも新たな波が押し寄せました。1980年代に入り、デザイナー・キャラクター(DC)ブランドが台頭し、平台とハンガー中心の店舗空間に、マネキンに代わってハウスマヌカンが登場。マネキンを用いた百貨店のような見せ方、売り方は時代遅れとされ、媚を売るポーズのリアルマネキンは、主体的に生きる新しい女性の生き方に逆行すると言われ、時代感覚を重んじるマネキンにとって逆風となりました。

こうした中で「板マネキン」が登場。カジュアルで平面的なシルエットがフィットし瞬く間に全国に広がりましたが、一時的な現象に終わりました。

このような状況を打開するきっかけを与えたのが、デザイナーの三宅一生氏でした。1983年の「イッセイ・ミヤケスペクタクルボディワークス」のために、空間と服をつなぐ要素としてシリコンや半透明プラスチックを素材とした「リアルな形状の人体ダミー」を開発。展覧会は、東京、ロサンジェルス、サンフランシスコ、ロンドンで大きな反響を呼び起こしました。このことが多くのデザイナーやクリエーターの刺激となり、明確なコンセプトのもと、空間を意識したアートとしての身体造形=抽象マネキンが相次いで創作され、店舗はもとより展示形式のショーやインスタレーションにマネキンが活躍しました。またこうした流れの中で、イメージを固定化しないとの理由で、リアルマネキンを白一色に塗装したり、頭部を持たないヘッドレスマネキンが登場しました。

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バブル崩壊後の4分の1世紀

1991年、バブル経済が崩壊して4分の1世紀が経過しました。この間、消費不況は慢性化し、百貨店の売り上げは低迷。コスト削減が店舗運営の主要な課題となりました。コストのかかるリアルマネキンに替わって、省力化、効率化に対応したボディや白一色に塗装されたマネキンが林立する風景が常態化し、VMD本来の、ショップ、ブランド間の差異化を創造的に図る目的と逆行、視覚的な同質化を余儀なくされました。

こうした消費不況を背景とした状況は、SPAブランドの台頭、激安戦争の本格化、低価格に感度を付加したファストファッションを生み出しました。こうした店舗では、マネキンを積極的に使用していますが、経済効率優先を前提としていることから、VMDに求められる視覚的インパクトからは、ほど遠い現状です。

その一方で2000年以降、東京の銀座や表参道をはじめ、大都市のメインストリートには高額商品を販売する世界のスーパーブランドの店舗が立ち並び、ショーウインドウ界共通のディスプレイを展開。多くのところで、欧米のリアルマネキンによる、王道とも言うべきハイクオリティな演出が見受けられましたが、今日ではその数は減少しています。

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VMDとマネキンのこれから

かつてわが国のマネキンを育てた小売業やメーカーは様変わりし、好景気であった時代のVMDを知らない世代がVMDを担当する時代です。さらにネット通販の普及により、場に依存しない消費行動が大きく伸長してきたことから、売場に人々を惹きつけるVMDの新たな位置づけが問われています。そのためのキーワードは「人間の五感に働きかけるリアルな空間演出」であり、創造力を発揮することによってのみ、VMDは視覚的インパクトを回復するものと考えます。場を重んじる以上、商品をよりよく引き立たせるマネキンはリアル、抽象を問わず、これからも顧客と商品をつなぐ普遍的なメディアであり、店舗やブランドの独自性をビジュアルに訴求する、VMDの有効な創造素材であり続けることは確かです。

(藤井秀雪)