2008年2月。春の到来が待たれるこの季節、協会創立20周年記念誌が2年間にわたる編集作業を経て刊行されました。皆様のお手元にお届けできることを嬉しく思います。記念誌に先立って企画がスタートし今回完結した「私のVMD・私とVMD」は、協会員全員参加によりVMDの仕事の現場や個々のVMDに対する考えが語られ、一人ひとりの顔や仕事が実にリアルに興味深く迫ってきます。一方、寄稿者を募ったページでは、VMDやMD、VMD教育に関する研究や論文を記録することにより、協会の存在理由を明示しています。この記念誌が協会員と協会のプロフィールを浮き彫りにし、人材データバンクとなること、さらに、VMDとVMD界の今後の発展に寄与することを願います。
(編集 田代悦子)
協会員の中で現在企業のVMD教育にかかわっている方は、20年前にはその道のパイオニアだった方達が時を経て、それぞれの得意分野で後進の指導に当たっています。今回この記念誌刊行に当たって自ら極めて来た教育の奥義のごとき貴重な寄稿をいただいたことは大変意義深いと考えます。この協会創立のきっかけにもなった厚生労働省「商品装飾展示技能検定」の歴史の一翼を担っている証でもありましょう。この記念誌に掲載されたそれぞれの教育論は、この協会がVMDのプロフェッショナル集団であるということを文脈の中に読み取れます。出来れば協会員だけでなくVMDにかかわるすべての方々に一読願いたい希少価値の有るものと考えています。
(原稿管理 早乙女喜栄子)
目に桜、耳にタンゴの調べが記憶に残る、協会創立の盛大な誕生パーティでした。あれから20年、大きな時代の変転にも誠実に対応して育ってきた協会が成人式を迎えました。スタートは93名でしたが、この20周年記念誌には166名がそれぞれのVMDを記述しています。協会事業の歴史のなかに「オンステージ」というセッションがあります。会員個人が登壇し、VMDの視点で仕事のノウハウや体験を分析し紹介するものですが、この記念誌は会員全員によるフル・オンステージのようなもの。発足当時から「人は情報」と言ってきた協会の集大成です。ビジネスの活性化は新しい価値を生み出すことで可能となります。そのためには、フレキシブルに人を生かしていく環境が必要と言われます。更に新しい価値を創造し、会員相互が生かされる協会を目指すためのバイブルとなれば幸いです。
(編集技術 楫 義明)
――なぜ出版か?
VMDの「進化と発展」と「情報の交換」は協会の命題であり使命。協会は創立20周年の節目を迎え協会員と関連会社のため意義あることとして着想、実行。MDとVMDのビジュアルな変化はドッグイヤーともいわれるので20年は潮時とした。
――記念誌のコンセプトは?
協会員全員参加が基本。それ自体がVMD界人材バンク機能を備えていること。刊行は協会内で企画から計画、進行と完成をすること。内容はVMDの理論と実際、技術と感性、協会員の思考と生活など。読み物として堅苦しくなく、興味を引き、資料性があること。オリジナリティがあり類書がないこと。
――どのように決定したのか?
2006年5月の理事会の決議により20周年記念事業として記念誌刊行が決定。編集メンバーの条件として編集経験と編集素養がありオンライン編集をするため通信と編集に関わるアプリに通じている協会員。
第1フェーズは全体設計立案作成の編集統括者の決定と実行。第2、第3フェーズ編集会議メンバーは、
楫義明(編集技術)、早乙女喜栄子(原稿管理)、佐藤昭年(編集統括)、田代悦子(編集/「私のVMD・私とVMD」編集長」)、宮原清(「私のVMD・私とVMD」テクニカル編集)。第4フェーズはWho’s Who / indexの原稿収集に集中のため進行スタッフの拡大を行いエリアリーダーおよび有志の方々の協力を得た。
――どのように計画したのか?
コンピュータ操作により少人数で意見交換や原稿巡回校閲など小回りをきかせた。メンバーは業務の傍ら実務を行うという背景があり対面会議は節目の必要時のみ行い、日常編集のワークはネットでやり取りする。また原稿の執筆進行のため一目瞭然のビジュアル予定表を作成し進行の結果に即してバージョンを変更。現在位置を確認する役割を果たした。
――どのように編集を開始したのか?
会報や広報でその都度報じられたように編集を数段階に分けた。第1段階を第1フェーズ、第2段階を第2フェーズ、第3段階を第3フェーズとした。それらはまず企画、グランドデザインに沿って台割り(サムネール)を作成し全体の構想を視覚化させ、編集の内容がわかりやすいようビジュアル予定表を活用した。台割りは印刷見積の算出に利用し予算と印刷コストの整合をはかるため役だてた。
――どのように編集の進行を心がけたか?
編集者はボランティアとして手弁当で参画した。編集の進行フェーズに沿って、そのフェーズで最少人数、最少編成、最少費用を目指した。全員が記念誌専従の編集者ではないので拘束を最小限にした。また編集メンバーにより協会内の製作を心がけ外部発注の発生費用の最小化を心がけた。印刷会社への外部委託以外は、編集メンバーで原稿校閲ほか台割り、レイアウト、割付編集のプロトタイプ作成と確認は相互にオンラインで実行。
――どのように執筆者を選定したか?
理事会で記念誌の発行が決定後、協会理事長による広報が行われ編集計画が示された。次いで記念誌の構想と内容案が記載された執筆原稿の募集が行われた。まずは自薦として候補を募り同時にそのエントリーの用紙で他薦の候補を挙げてもらった。その結果他薦の執筆者候補に執筆勧誘を行い参加が実現した。
――どのように校閲・校正されたのか?
校閲は第1、第2、第3フェーズ編集メンバーにより専門用語、人名、店名、所在地、年月日など、外部の専門校正者では不得手の部分を校閲して正した。文章の校正、割付文字数合わせの文字数調整、小規模のリライト等は外注の専門家に委嘱した。例えば業界で慣用の用字である「ディスプレイ」や「ショウウインドウ」は、新聞社等の用字である「ディスプレー」や「ショーウインドー」に統一せず執筆者の用字を尊重し原文のまま採用した。また原稿の執筆時期は執筆原稿により時差があるが記載は省いた。
――どのように編集のフェーズを進展させたか?
即刻入稿があった執筆者と遅滞気味の執筆者があり、遅滞執筆促進には、原稿管理者よりメールと郵送と電話により入稿の促進を行った。その結果、執筆原稿の入稿は第3フェーズで完了することができた。
協会員全員が記載されるアンケートスタイルの「Who’s Who / index」の返信は、協会員全員の記載を目指して各地域リーダーの助勢により入稿の促進ができた。アンケート原稿は2008年初春に発行予定の新しい協会員名簿と共に2007年末に登場の新しい協会サイトに利用するために最新データの記載を目指して他の原稿とは時差を設けた後期入稿とした。
――どのようにブックデザインはなされたのか?
A4縦。総256頁。カラー4色とスミ(黒)1色のページ印刷。表紙はミラーコート紙に箔押し。縦組みと横組みのページの組合せ造本で右開きと左開きを象徴する表1機能を2頁にしてコンテンツを反映。横組み頁の新規書き下ろし「協会小史」ほか4項目と「編集記」は縦組み頁の「私のVMD・私とVMD」と交差する位置に編集後記ならぬ「編集〝中″記」と「奥付」の機能。本文用紙はマット系の重量の少ない紙を選び気軽に手にとって閲覧できるようにした。
――どのように配布するのか?
非商業出版として原則的に協会員と賛助会員に配布。限定少部数印刷として増刷の予定はない。
(編集統括 佐藤昭年)
●Publication Data
2007年11月19日
誌名 日本ビジュアルマーチャンダイジング協会創立20周年記念誌
発行 日本ビジュアルマーチャンダイジング協会
編集 日本ビジュアルマーチャンダイジング協会
連絡事務局 150-0031 東京都渋谷区桜丘町 4-23 渋谷桜丘ビル 10階
(2008年2月26日当時)
e-mail / vmd@nifty.com web-site / www.javma.com
Tel & Fax / 03-3476-1410
印刷 株式会社千修プリコム+株式会社バーレン
発行 2008年2月26日
●日本ビジュアルマーチャンダイジング協会 創立20周年記念誌 刊行委員会
刊行顧問 古畑多喜雄 後藤艶子 八鳥治久 田中寛志 藤井秀雪
実行委員長 田代悦子
編集(第1、第2、第3フェーズメンバー)
楫 義明 [記念誌:編集技術]
早乙女喜栄子 [記念誌:原稿管理]
佐藤昭年 [記念誌:編集統括]
田代悦子 [記念誌:編集] / 「私のVMD・私とVMD」の編集長
宮原 清 [記念誌:編集] / 「私のVMD・私とVMD」のテクニカル・エディター
後期入稿分のラストコールに関しては多くの協会員にご協力いただきました。
(佐藤昭年)