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顧問・名誉会員


顧問

協会の創立にあたり、会則の15条には「顧問」を置くことが記され、「本会の趣旨目的に理解ある社会的地位にある権威者の中から総会で推載する。」と規定されています。協会創立の準備段階で、教育界で活躍されており、VMDと深い関係にあるファッションのお立場から、文化服装学院長である小池千枝先生と、空間デザインのお立場から武蔵野美術大学主任教授の向井良吉先生に白羽の矢が立ちました。お二人共に業界の大御所であることから、協会理事長と専務理事に内定していた八鳥治久氏と佐藤昭年氏が、顧問着任をお願いに参上し、快諾いただいたと伝わっています。

小池先生と向井先生のお二人は、協会主催のセッションやパーティなどに参加いただくなど、会員とのコミュニケーションの広がりもあり、大きな存在として協会をバックアップしていただきました。
小池先生は2014年、向井先生は2010年に逝去されるまで、顧問として長年にわたり継続して協会を見守り続けられました。

小池千枝氏 経歴(1916年4月14日―2014年5月28日)  

1933年、文化裁縫女学校(現、文化服装学院)に入学し、卒業後、同学院の助手となる。1945年、文化服装学院に復帰し、1951年デザイン科を新設し初代デザイン科長に就任。

1954年、38歳のとき単身渡仏、パリ・クチュール組合学校「サンディカ」で学ぶ。クラスメイトにイヴ・サンローランが、隣のクラスには、カール・ラガーフェルドがいた。フランスではオートクチュールの立体裁断に衝撃を受ける。

帰国後は、日本人に合う立体裁断用の人台(ボディー、トルソー)を開発し、また1957年から文化服装学院として男子学生の入学を開始するなど、ファッション業界の発展に貢献する。文化女子短期大学(現、文化学園大学)教授、文化服装学院副院長を歴任し、1983年、同学院の10代目学院長に就任。1991年より2002年3月まで名誉学院長として活躍した。

立体裁断による服作りを日本に広め「日本モード界の母」と呼ばれた。高田賢三さんや山本耀司さんら世界的なファッションデザイナーを育てた。
(参考資料:Wikipedia、朝日新聞 FASHION NEWS  2014年8月11日、日経新聞 訃報 20140602付け)

向井良吉氏 経歴(1918年1月26日~2010年9月4日)

彫刻家、武蔵野美術大学名誉教授

京都市出身。1941年、東京美術学校 卒業。1951年、行動美術協会彫刻部の結成に参加。芸術選奨文部大臣賞、中原悌二郎賞を受賞。代表作に1961年、高村光太郎賞を受賞した「蟻の城」など。

戦後の抽象彫刻を代表するひとりである一方、島津良蔵氏とともに七彩工芸(現・七彩)を創業して初代社長となり、マネキン復興にも力を尽くした。また1972年に発足した当商工組合の初代理事長に就任し、業界の発展に積極的に寄与した。

 (参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説、JAMDA「マネキンのすべて」名人伝/その人作品)

名誉会員

協会の創立時に「名誉会員」の制度はありませんでした。2002年、創立以来15年間、理事長を務めてこられた八鳥治久氏と専務理事の佐藤昭年氏が評議員になられたのを機に、前の8期まで評議員であった古畑多喜雄氏と後藤艶子氏に対して、長年にわたり協会に多大な功労があった会員として「名誉会員」の制度を新設し、着任されました。

その後、2004年には宮崎倉治氏が名誉会員に推挙され、着任されました。

ニューヨーク:マーシーズのWD、ツインタワーが健在

古畑多喜雄氏

ロンドン:リージェントSTのイルミネーション、迫力満点

宮崎倉治氏、後藤艶子氏


 

(楫 義明)